また、禅に傾倒しそう。
俺は疑い深く、人が作った物語に真実を見出すことは出来ません。
だから、宗教に依存するのは難しいと思います。
行為に依存は人並みに出来るかもしれない。
実際、座禅とその呼吸法は少しだけ効果が感じられる。
宗教の物語を必死に肯定しようと頑張る自分を見て、なんで俺や世間の多くの人は科学やら法やら現代的な国家を中心とした社会制度は簡単に受け入れられるのに、宗教は受け入れられないのか考えてみた。
正直、真実なんてものはほとんどが権威と同義語なのかもしれないと思ってるし、科学でさえ反復可能性以外に他の作られた真実と区別する出来ないと思ってる。
何で宗教をまとめて全て毛嫌いする人が多いかと言うと、
現代におけるほとんどの宗教が、富を得ることに貪欲で、政治的で、そして一部においては反社会的な行為をする組織を形成しているからだ。
それに宗教に真実を預けてしまっている人は雰囲気がやっぱり独特だ。スピリチュアルみたいなものに傾倒してる人を見れば特によく分かると思う。
それは確かに自分も思うことだが、逆に法や国家、そして科学が平等なものだと疑いもなく思ってる人たちは本当におめでたい。
でも、僕はこの世の中のことを論理的に考える時、何一つとってもよく分からないので、(というかやはり頭が悪い。卑下でなく実際にレベルの高い議論が出来る人間じゃないと感じる。)あまり考えたくなく、先ほど述べたように、出来れば気がつかないうちに後ろから殴り殺してくれれば、幸せに思います。
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